今回は、横岡稲倉そば生産組合の齋藤喜久男さんにインタビューしました。実際に蕎麦打ちをしていただきながら、文化を継承していく想いについてお話を伺いました。

Q:喜久男さんのご経歴を教えてください。

突然ですが、麦きり(むぎきり)って分かりますか?秋田県では蕎麦でなくてうどんです。以前は各家で麦を栽培していたんです。それを使って麦きりというか…うどん作りをやっていたんです。麦きりを親の世代からやっていたのを見て、何かやりたいなと。

今、大学4年生の孫が、私が趣味で麦きりをしたり蕎麦を打ったりすれば、「美味しい、美味しい」って食べてくれるのが楽しくてずっと続けてきました。

減反政策があって、この辺では米作りはみんなやるけど、減反したところには何も植えないで遊んでたもんだから、そこを利用しながら蕎麦の栽培もできるかなって。自分で植えて、最初から最後までしたいなと思って始めたのが今の蕎麦の始まりです。

Q:現在は具体的にどんな活動をされているんですか?

まずは耕作放棄地にならないように田んぼ、稲以外の減反の田んぼをなるべく荒らさない、悪くしないように次の世代に繋げる活動というか…そういうのを頑張っていきたいなと思って仲間と何人かでやっています。

Q:蕎麦打ちだったり、そういった文化に初めて触れたきっかけや出来事はありますか?

うちの妻が、結婚しても子ども産んでも、諦めないで生花を趣味としてやっている姿を見てて、自分も何か一緒に残るような仕事というか…歳をとってもできる、そういうのがほしいなといつのまにか心の中にあったようで、それが蕎麦だったような感じがします。人から影響されたりいいものは吸収する、そういう感じで妻からいいものもらったなって思ってます。

Q:蕎麦ってどのくらいでできるんですか?

ゆっくりしても1時間くらいでできますね。私が今打ち始めれば30分〜40分くらいで切り上げます。

Q:スムーズにできるようになるのって結構時間がかかると思うんですけど…

割と時間はかからないな。まあ太い細いとかは別にして、割と早いです。

Q:やっぱり慣れていくしかないですよね。

ですね。下手にやっても自分が下手だって思わないで、次があるっていうように。(笑)

下手だとかそういう思いをすれば、また打ちたいと思わないから。私は失敗って思わないっていうことが一番大切だなって思います。

Q:にかほ市内では蕎麦作りをやっている方が多いですよね。

ここ象潟地区で5つかな。他の地区の方は早くやっていたんです。私もということで後から参入した感じですね。

Q:なぜそういった文化をやることにしたのか、心情の変化があったタイミングはいつですか?

まず減反政策が始まって、先輩たちが作ってきた農地を作物は変わってもなるべくそのまま次の世代に繋いでいければという感じで始めました。

Q:ちなみに何歳から始められたんですか?

私も勤めていたりしたので、今72歳ですけども、もう12〜13年前から勤めながらいろいろやっていました。

きっかけは、友達が蕎麦の本を色々と持ってきて、それを見たことです。

こっちはあまり蕎麦の文化がないから山形の蕎麦とかもみました。いろいろ雑誌に載っていて、「あ、ここだな」と言ったのが岩手県の葛巻町でした。昔ながらのおばあちゃん方が打つやり方で、豆腐と卵と熱湯でやる蕎麦です。その時は妻が蕎麦打ちにあまり賛成ではなかったんです。一緒に連れて行って蕎麦打ち体験させて、私はカメラマンをやりました。

私は我流でずっとやっていたので、妻も体験には2回くらい行きましたね。今では私も妻も心のふるさとって感じです。

卵・豆腐・熱湯で蕎麦づくり

Q:ずっと我流だったんですね。大変だったことなどはありますか?

大変だなというか…あまり悪い気持ちは持たないようにして、前に向かってきたというか。つらいことがあれば落ち込んでくるから、そういうのは除外してまず前に向かって行くという感じです。

Q:文化をなぜ継承していこうと思ったのかその思いを教えてください。

やっぱり地域が大事だからです。地域を明るく次の世代に届けたいです。地域もそういう広がりをもっていければなという想いですね。

Q:将来こうなったらいいなというのはありますか?

人口減少、限界集落とかあちこちで言われているけどそうならないように、まずできることにチャレンジしてほしいです。

今、地域おこし協力隊に若い人が2人も入って、観光課から一番先にここに来てくれました。私もグリーンツーリズムとかいろいろやっていたもんだから、観光課でここにくればこういうバカもいるよっていう感じで教えられて…きたんだ、2人で。(笑)最初は半信半疑で付き合ってたけど、本気みたいだなと思い、一緒に盛り上げていければなと思いました。

Q:文化を伝え、広げていく活動もなさっているんですね。私も地域おこし協力隊の2人からよく蕎麦をいただいていました。(笑)

そうですか。最初の頃、ひっきりなしにうちに来て上手になっていきました。やる気十分だから覚えも早かったです。

Q:現在はどのような思いで取り組まれていますか?

1人2人に広げるのではなくて、輪をちょっとずつ、ちょっとずつ広げていければなという感じですね。

Q:では最後に喜久男さんにとってにかほ市とは何ですか?

私は横岡っていう地区で産まれました。産まれて育った地域をやっぱり寂れさせないようにしたいです。みんなで力を合わせてちょっとずつ盛り上がるような…自分達でできない部分は、地域おこし協力隊とかいろいろな人が入ってくるので、そういう人と手を繋いで盛り上げていければなと思っています。そういう繋がりを大事にしながら、新しい風を入れて、守るものは守って、変えるものは変えていかないとやっぱりいい地域にはならないと思います。

今、日本全国的に、都会から都会の人を引っ張る準備をしていると思います。象潟地区や、にかほ市には良いところがいっぱいあるし、そういうのをいろいろ宣伝してもらいたいです。コロナが収束したときには、どこの地域よりも県外から人が来て、交流がうまれるような準備をしておかないといけないと思っています。

横岡稲倉そばを通じて、文化を広め継承していくというまっすぐな想いを感じました。齋藤喜久男さん、ありがとうございました!

この記事を書いた人

齋藤喜久男

会社に勤めながら横岡稲倉そばを継承。現在は横岡稲倉そば生産組合に所属し、そば打ちの文化を県外からの移住者などに継承している。