こちらの記事は、『文化人になるまで。齋藤みどり氏のターニングポイント Vol.1』の続編になります。

昔語りの活動をされている齋藤みどりさん。前回は、昔語りに触れたきっかけや魅力を感じた瞬間をお話いただきました。

今回は、そんな文化の昔語りの将来像についてお話いただきました。

Q:ちなみに、昔語りをやっていて大変だったことはありますか?

時代がだんだん変わって来て、昔は平気で使っていた言葉が、今は差別やいじめにつながる言葉になったりするので気を遣います。例えば、目の見えない人のことを「めっこ」足の悪い人のことを「びっこ」と言ったり、継母がいじめたりするような話があったりしますが、その話で誰かが傷ついたりするようなことがあってはならないので、できるだけそういう話は避けて、楽しいような、笑えるような話を多くするようになってしまいます。

「昔話だからありのままを語っても良いんだよ」という考えもあるようですが、難しいですね。

Q:昔話の全部が楽しい話とか面白い話という訳ではないですもんね。

そういうことですね。

Q:なぜこういう文化を継承していこうと思ったのかその想いや、これからこうなっていったらいいなということがあれば教えてください。

一言で言えば、自分が昔話が好きだからだと思います。小さい時にばばから聞いて育ったので…。方言にはなんとも言えないぬくもりがあります。そういう言葉は年を取るごとに懐かしく、なぜか心があったかくしてくれるのでこれからもずっと方言を残していきたいなと思います。ですから昔話をする時はできるだけ、今はあまり使わなくなった方言を取り入れて語っています。

小学校に毎週昔話に行っていたのですが、最初はなかなか方言がうまく伝わらなくて、例えば大根のことを「で〜こん」と言うと「ベーコン?」と間違われたり、質問ぜめにあってなかなか話が進まなかったりもしましたが、毎週行っているとだんだん慣れてきて方言もたくさん覚えてくれました。

毎回違う話をするのは大変でしたが、時々あの話がいいとかリクエストしてくれるようになったりして楽しかったです。

文化の将来を考える。

Q:将来こうなったらいいなという理想像はありますか?

私はここに生まれ育って、当たり前に生きて来ていますが年と共に、ここがとても素晴らしい所だなと感じています。方言も好きですしみんな優しくて温かい人に恵まれていると思います。

将来ここで育った子供達が、ここから出て行っても、子供の頃に触れた言葉や行動や暮らしや体験にほっこりと温かい思い出や癒しになれば良いなと思います。

Q:私も一回東京に出ていて、県外に出たからこそ地元の良さが分かりました。

そうですよね。私もここに住んでいて一番いいことっていうのは、やっぱり身内や両親がそばにいて、そういう暖かい交流が何よりも自分の励みになっています。

私にも娘が2人いて、今2人とも近くにいるんですよ。その娘たちが進路を選ぶとき、近くに居てほしいという気持ちが心の中にあったんですけど、止めるわけにもいかないので、「親の住んでいるところとか生まれたところは、我慢したり仕方なくいるところではないから。あなたがどこでも行きたいところへ行って、したいことやってもいいんだけれど、日本のどこと世界中のどこと比べても、劣らない良いところだと私は思っているから。」と言い聞かせたら、1人は出て行ったけど帰ってきて、1人はここに残ってくれたので万歳だと思いました。(笑)

やっぱりどこに行ってもいいと思うんだけど、歳と共に娘とか身内がそばにいるっていうのは何より心強いことなんです。それは歳とってこないと分からない気持ちだと思うんですけどしめしめと思ってます。(笑)

Q:やはり東京とか都心にいると、なかなか文化とか触れる機会や自然もなくて…東京は便利だとは思うんですけど、にかほ市が恋しくなりますね。

そうですよね。私はここから出たことがないので、テレビを見ていると鄙びた温泉とか景色のいいところに憧れて出かけるっていうようなこともあるけど、私は日常がその暮らしなので、私は「どこに行きたい?」って言われると銀座とか。(笑)

そういう都会のど真ん中に行って泊まるとか、そういうのが私は何というか…憧れでもないけれど、自分の生活とは違うところがいいなと思います。

鄙びたところは充分に毎日体験しているんですよね、にかほ市で。ここよりいいところは絶対ないと思い込んでいるので。

Q:現在はそういう文化に対してどんな想いで取り組まれていますか?

自分の生まれ育ったところに誇りを持っていますし、いいところだなというのを実感しています。そういうのをできるだけ伝えたいなと思いますね。”言葉”もそうなんだけど。

私も職業柄というのか、昔から子どもたちにものを教えてきたので方言ばかりで喋っていないですが、何というか方言にはすごく暖かい温もりというのがあるんです。

会議なんかに行くとみんな共通語で喋るんだけど、なんか本音がでてこないなということがあるんです。そういうときに誰かが勇気を持って方言で喋ると、どんどん本音がでてきたりするっていう体験が私もあるので、やっぱり地元の人は地元の人が集まったときは、地元の言葉っていうのも大事にしたほうがいいかなと思うんです。

ここは庄内(山形の地区)との県境なので庄内とも近いです。庄内弁もとても優しい言葉で、「○○だの〜」って言うんです。私たちは「○○だな」って言うんですけど。

例えば学校の先生の話を聞いたんだけれども、「頑張ってね」と言うと「はい」ってそれなりなんだけど、「頑張れの〜」って言われるとなんか頑張らなくちゃいけないかなって洗脳されているような。(笑)たった一つの「の」なんだけど、その言葉のあったかさに頑張る気持ちにさせられるっていうことを聞いたことがあるので、私もそういうときは「頑張ってね」じゃなくて「頑張れな〜」っていうたった一文字に想いを込めて、子どもたちに言うようにしてます。

褒めるときには、方言が説得力っていうのがあるのかなと思ってます。でも子どもたちは生まれた時から方言を使わなくなっているので、あまり効き目がないときもあります。だから、昔話を子どもたちよりもお年寄りの人たちの方が喜んで聞いてくれるので、子どもたち向けの活動より、お年寄り向けの活動が多いです。

Q:私も東京で方言が出たときに、東京の人たちって方言がないので、「羨ましい」とか言われたりもしました。その時に方言もいいんだなと思いました。

そう思いますよね。私は書道をやっていて時々東京の美術館などに仲間と出かけたりすることもありますが、なぜかあまりきれいな共通語は逆に使わないんですよ。

「せばまたな(また今度ね)」とか「ばんげまだな(夕方またね)」とか、わざとなんかちょっと誇らしげに方言をつかいたくなるんですよね。

自分達が育った年齢っていうのは方言だけで育ってきてるわけじゃなくて、テレビも見て育ってきたし、共通語も方言も両方使えます。ある程度は共通語も使えるので、コンプレックスや、恥ずかしいとかそういうこともないです。

昔は、「方言は悪い言葉だから絶対に使わないように」っていう風に学校で決められて、方言を使った人は罰を与えられたり、都会に出て行っても苦労しないように方言をなおそうっていう親心もあったりして、方言を使わないようにっていう時代があったんだそうです。

そういう時代の人たちはやっぱりその方言しか使えなかったりすると、都会に出て行っても人と会話できないとか、電話にでれないとかっていう苦労があったと思うんだけれども、今はそんなことないので。方言の良さっていうかそういうのも大事に守っていかなくちゃいけないのかなって思います。

Q:敬語だと、どうしても方言がなくなってあまりうまく伝えられないんですけど、方言がでると自然に伝えられますね。

その言葉でないと伝わらないような言葉ってやっぱりあるので、それは大事だよなって思います。

Q:では最後に…齋藤さんにとってにかほ市とは何ですか?

私が生まれ育ったところなので、ここの良さっていうのは、自然とかそういうのはもちろんなんだけれど、身内がいて、知り合いがいて、そういう中で自分が育てられてきたので人間関係が暖かく残ってるところが一番です。

私は地元に住んでいいところをいっぱい知っているので、近所の奈曽の白滝とか、元滝とかは子どものときの遊び場だったし、獅子ヶ鼻湿原もあったし、今でもそういうところを楽しんでいるんですよね。

中島台にしても、年に2〜3回、観光案内人が森開きで連れていってくれるようなときは毎年申し込んで行ってます。観光案内人が教えてくれることを、みんなメモして自分が友達を連れてきたときに案内できるように資料を作って…。春に行ったらこの花は何ですよ、あれですよ、っていう風に。

自分も「あの花、咲く頃だから行きたいな」とか「紅葉は今年はどうなのかな、見に行きたいな」とか、必ず鳥海山でも獅子ヶ鼻湿原でも元滝でも、自分で楽しんでいるんですよね。

地元の人は一回見て知っているからあんまり行かない場所になっているんです。だけど地元の人こそ、そういう自然というか地元の良さっていうのを毎年楽しんだらいいと思うんです、他に行かなくても。他に行って、「中島台のほうがもっといいな」とか確認したり、そういう地元のいいところを自分が何回も何回も体験しています。

最近は、院内油田とかもでてきたので1年に1〜2回行こうっていう気持ちです。行けるうちはそういうところを何回も何回も体験したいなと思って。

自然も誇らしいところだし、人もそうだし、ここに生まれたっていうことを誇りに思っています。

Q:私は秋田県出身なんですけど、にかほ市に来たことがなかったんです。今、住んでみて人がすごく暖かいっていうのと、自然が全然違うなって思いましたね。

そうですね。海も近いし山も近いし、そういう場所ってなかなか無いと思います。

この前、鳥海山に行ったときにナナカマド(バラ科の落葉高木)が山小屋を囲んでいる『東雲荘』という山小屋がちょっと登ったところにあるんですね。そこは小屋の周りに全てナナカマドが生えていて、ナナカマドがすごく赤い実をつけていました。管理人さんが「今年ほどナナカマドが赤くなったことはない」って言ったんですよ。

だから、いくら地元で知っていると言っていても、その年で変わるものもあるし、地元のもので地元を楽しむことを、みんなもっとやった方がいいと思うんです。

地元の人って、地元ではなく他の場所へ行きたがります。でも、私はたくさん地元に楽しめる所がいっぱいあって、発見がいっぱいあって、「ああ、また行きたいな」って、住んでいる場所なのにそういう魅力を感じています。

昔語りを通じて文化を残していく想い、地域の良さをたくさんお話いただきました。自分の生まれ育った土地の魅力を探し、誇りに思うことは大切だと感じました。

齋藤みどりさん、ありがとうございました!

この記事を書いた人

齋藤みどり

あきた民話の会の副会長をされ、昔語りの活動をされている齋藤みどり(さいとうみどり)さん。にかほ市生涯学習奨励員と、学校支援地域コーディネーターという役目を担っている。