今回は、あきた民話の会の副会長をされ、昔語りの活動をされている齋藤みどりさんにインタビューしました。

昔語りの活動や、文化に触れるターニングポイントをお伺いします。

Q:齋藤さんのご経歴を教えてください。

あきた民話の会の副会長をやっています。昔語りの活動をやっている中でにかほ市生涯学習奨励員と、学校支援地域コーディネーターという役目をやっています。その活動も大なり小なり昔語りの活動に繋がっていたりします。

Q:現在はどのような活動をしていますか?

コロナなので活動がすごく減っているんですが、老人施設とか保育園とか小学校とか地域のサロンとか、色々頼まれればどこにでも出張して、昔話を語るという活動をしています。

上郷小学校が閉鎖する前は学校支援ボランティアとして9年間、毎週一回は通っていました。昼休みが終わって読書の時間の15分間、今日は一年生次の週は二年生次は三年生という風にそのクラスの中に入り込んで、そこに座って…

その当時の上郷小学校はひとクラス10人前後の生徒数だったので、私の周りを囲んで昔話を聞くという形でした。

昔語の本

Q:今は昔語りの他にも色々やられているんですか?

私はそもそもそろばん教室と書道教室をやっているので、子どもたちと関わることが活動というか仕事というかそれが私がやってきたことです。本業として52年間ずっと。

教室を開いた当初は家の座敷を使っていたんです。なので、子どもたちの遊び場みたいな場所でもありました。(笑) 今では築150年以上になる家の一室を改装して教室を作っています。

Q:今も教えられているんですよね?

そうです。だから上郷小学校に昔話に行っても、その子どもたちが帰りには私の家に来て、そろばんとか習字とかやっていくので、一日中ずっと子どもたちと関わってきました。

一応先生っていう立場なんですけど、私も45年間、書を習いに毎週本荘の先生のところまで通っています。今も生徒なんです。なので先生と生徒の全く逆の立場を体験しているので、辛かったり悲しかったりと生徒の気持ちが手に取るようにわかります。それが仕事に活きているかな?という思いはありますね。

文化に触れるターニングポイントとは。

Q:文化に初めて触れたきっかけ、出来事や時期を教えてください。

きっかけは小さい頃祖母と曾祖母もいる生活で、昔話をたくさん聞いて育ったという環境がありました。それから大人になる平成5年くらいまでの間は、全く昔話に触れたことがなかったんです。

ふとそういう昔話をやりたいな、と目覚めてきたのは自分に孫ができたり、夫が地域の役員をしていた時で、「敬老会で昔話をやったら?」と言ってくれたんです。実際にやってみたらとても喜んでもらえたんです。

それと、秋田のアトリオンが平成6年の5周年記念に昔話や寸劇、パフォーマンスなどを方言でやる人大募集! というのを新聞で見つけて、それに昔話で出たんです。

出たら優勝することができて、その頃はすごかったですよ。10万円の賞金もいただいたり。(笑)

Q:優勝、凄いですね!

その優勝したという記事が新聞に載ったので、秋田市とかいろいろなところからお声がかかるようになってきたんです。秋田県でもその頃、方言とか昔話とかが盛り上がっていました。

県の主催で秋田市のアトリオンで昔話を毎月一回やるようになり、それで次々県内の語りをやる人が出てきて、平成6年か7年からずっと県主催でそういう語りの場をやっていたんですよ。当時は、それですごくブームになっていきました。

2002年に国民文化祭の、鳥取で佐治村というところで昔話のフェスティバルがあるということで、そこに秋田県代表として参加させていただいたこともあったんです。

そういう風にいろんな活動が広がって。県の方ではだんだん昔話をやるような人が増えてきて、自主的に自分達でやってくださいという流れになり、平成12年にあきた民話の会を立ち上げて、みんなでその会を現在まで運営しています。

その活動が広がってあちこちに昔語の会が各市町村にできて、養成講座とかを開いたりしてやったことのない人も仲間に入って覚えたりして、県南県北中央と3つの部署に分かれていろんな活動をするようになり現在まできています。

最盛期だったときは100人くらいの民話の会の会員がいました。だんだんそのブームも下火になってきているし、コロナもあって活動が少し閉ざされてきています。去年の活動は11月20日が初めての活動で、フォンテAKITAで語りをやってきました。それが最近やった活動の一つです。

Q:文化をはじめるターニングポイントになったのは、やはり初めて昔話をしたときですか?

そうですね。それがきっかけというか、改めて昔話ってなんていいんだろうっていうことを思って。

Q:再認識されたときがあるんですね。

たまたまテレビの徹子の部屋を見ていたら俳優の沼田曜一さんという人が出ていて、昔話をやってくれました。それをたまたま見たんです。沼田曜一さんは身体を壊してから、自分の車で東北地方の温泉をめぐり、そこの土地の人から昔話を聞いては収集し、昔話をやるようになって、大地の劇場という昔話の教室を開いたりと様々な活動をしていました。

テレビで披露してくれたのは『つつじむすめ』という話だったのですが、すごく感動しました。なんて昔話っていいんだろうと思って、沼田曜一さんの本とか昔話のCDとかいろいろ集めました。

そしたら本の中に『つつじむすめ』というのが書いてあったんです。それで「あ、これだ」と思って、その本を読んでみたら何も感動が伝わってこなかったんです。

やっぱり昔話っていうのは口で語って、方言で語って、その人の味で語って、耳で聞くから感動が伝わってくるんだなというのを再確認しました。

だから昔話は口で伝えて残しておかなくちゃいけないなという使命感でもないけれど、私はここで生まれてここで育ってここから一歩も出たことがない。そういう人なのでやっぱりここの昔話を残したいなという気持ちでやっています。

Q:本にも本の良さはあるんですけど、やっぱりまた違いますもんね。

そうです、絶対違うんです。

Q:その人の味が出るのは魅力的ですね。自分一人で本を読むのではできない経験ですもんね。

文化人になるまで。齋藤みどり氏のターニングポイント Vol.2に続く。

続編では、昔語りの将来や現在どんな想いで取り組まれているのかお伺いします。

ぜひ続編もご覧ください!

この記事を書いた人

齋藤みどり

あきた民話の会の副会長をされ、昔語りの活動をされている齋藤みどり(さいとうみどり)さん。にかほ市生涯学習奨励員と、学校支援地域コーディネーターという役目を担っている。