こちらの記事は『文化人になるまで。齋藤雅昭氏のターニングポイント Vol.1』の続編になります。
『文化人になるまで。齋藤雅昭氏のターニングポイント Vol.1』はこちら。
酒蔵の『飛良泉』を継承した齋藤雅昭さん。Vol.1に引き続き、飛良泉でお仕事をされるようになったターニングポイントや今後の展望まで伺います。
Q:ターニングポイントは大学生時代とのことですが、なぜ飛良泉を継承しようと思ったのでしょうか?
子供の頃からお酒に触れる運命で生まれてしまったのですが笑 小さい頃はなんとも思っていませんでしたが、実際にお酒を飲める年齢になり、人がお酒で繋がっているシーンを目の当たりにした時に、人をつなげることができるアイテムを造る商売って実はすごく素敵なことではないかと思いました。
飛良泉の一升瓶を中心にして人の輪ができて、みんなでそれを注ぎあって飲んで、語っている姿をふと外から見た時に「なんて素敵な光景なんだろう」って。
それでやってやろうって戻る決心がつきました。それが継承するにあたっての最後の一押しでした。
もちろん、ここに生まれた運命として「やらなければならない」という一種の強迫のような観念もあったのは事実ですが、それだけではなくて最後に背中を押してくれたのはそういったポジティブなシーンです。人を繋ぐ円滑油として、自分たちが造ったお酒が貢献しているということがキラキラして見えたわけです。このような効果をもたらす商品を造る職業はかっこいいなと思いました。
Q:(飛良泉が)500年続いているという背景に、どのようなイメージを抱かれていますか?
子供の頃の話ですが、お酒造りは外から見ると楽しそうに見える部分がありました。古めかしい蔵の中に入ったり、そこにはお酒が貯蔵されている樽があったり、さらにその中には発酵してコポコポしている醪(もろみ)が入っていたり・・・。
そういったものを見て「面白そうだな」っていう好奇心がありました。
ですので、マイナスのイメージではなくて、そういったものに携わっている祖父や父の背中は純粋にカッコよかったので、憧れみたいなものがありました。
祖父や父の背中は見てきましたが、そこに縛られる必要はないのかなと今は思います。こちらに戻ってくる前には、「500年」のイメージが膨らみすぎてしまって系譜、継続、継承・・・そういった意識が強くあり、先代たちの築きあげたものを壊してはならないとか、続けていかなければならないと思っていました。先代たちのやってきたことを、繰り返したりコピーをするのではなくて、僕は僕なりのやり方でいいのではないかというのは思いますし、自分色を発揮していきたいと考えています。
祖父は昭和の激動の時代、父は昭和の終わりから平成、僕は平成の終わりから令和と、時代は移り変わっています。同じ方法では経営も酒造りも上手くはいかないでしょう。昭和で実際に取り組み成功したことをトライしてみる、またはそれをカスタマイズしてみたとて、令和では通用しそうにありません。今は自分なりの表現方法を模索しているところです。
変えてはいけないものもありますが、変えなければならないものの方が圧倒的に多いです。
変えるということはすごく勇気やエネルギーがいることです。側から見ると「それって本当に変えて大丈夫?」ってなるのがほとんどです。ただ本当に変えるべきであれば、腹を括り「変える」という判断を今後は次々としていかなければならないと感じています。
Q:現在はどんな思いで取り組まれていますか?
ふと出てきたのはもう少し睡眠をとりたいなってことですね笑
という冗談はさておき、抽象的ですが「色々となんとかしないと、しなければ」と思っています。この会社もそうですし日本酒を取り巻く環境もそうですし。国内の日本酒消費量もどんどんと落ちています。ただネガティブだけではなくて、例えば海外輸出などは大きく伸びているなど明るい兆しもあります。 また体質自体が古い業態なので、もし今の一般企業で当たり前にできていることを適用した時の伸び代はすごいものがあるのではと思っています。新進気鋭のベンチャー企業が日本酒を造ろうとしたらどうなるのでしょうね・・・。新規の酒造免許は数十年間認められていませんので、ハードルは高いのですが。もし酒造業をするのであればすでに免許を持っている企業を買収するしか方法はありません。そういった高いハードルのせいで、なかなか新しい風が入ってきません。ですが、今後免許が徐々に緩和されるという話も耳にするようになりました。きっと新しい風が吹き込んでくると、僕らが考えもしなかった目から鱗のようなことも多々あるでしょう。それはそれで期待しつつ、まずは自分達でできること、社内や業界の体質が古いことによる、アップデートできていない課題をみつけては、一つずつ丁寧に解決していきたいと思います。
Q:大変なことはありますか?
かっこよく、全然大変ではないですよ!と、笑って言えればいいのですが笑
社員に自分の頭の中を伝えることですかね…?自分の考えや想いがきちんと相手に「伝わる」ことに難儀しています。考えていることを一方的に「伝える」ことはできます。こうです、こうしたいですと。ただ自分しか理解できていないことを「伝える」だけになってしまうことが多々あります。表面上は伝わっているかもしれないのですが、それをなぜしなければならないのか、バックボーンに何があるのかまで、しっかりと受け取ってもらいたい。それがうまく伝わると、やりたいことが的確に迅速に実行、実現できます。
できていないのは完全に僕の努力不足。言葉不足であるのはもちろん、会社としての方向性が統一できていないなど、会社自体にもまだ問題が山積していて、なかなか社員に伝わらないのだと思っています。
「伝わる」は僕の表現・努力次第であることが大変なところです。それは従業員だけでなく、お客さんも地元にかほ市の人、全世界の人、全員に対してです。
Q:『伝わる』ようにするための取り組みなどはありますか?
言葉にするということと、あとはコミュニケーションですね。「伝わらないかもしれないから」と諦めてしまって、話をしないままにしてしまうとそれ以上進歩がありません。
無計画なコミュニケーションもよくないと思っていて、こう言ったらこう思うだろうから、この後にこういう言葉を用意しておいて…みたいなシミュレーション済みのコミュニケーションをとるべきなのかなと思っています。それはなかなか苦手にしていて、全くできていないのですが笑
Q:酒造の面で大変なことはありますか?
コロナ禍によって、お酒を飲む習慣というものが奪われました。コロナ前の水準まで復活することはないと考えています。さらに秋田県の人口は減っていて、人口に比例して秋田県内の売上も落ちています。 そういう環境下で、飛良泉の商品のどの部分がお客様にとっての価値なのか、それをどのような味や見た目で表現していくのか、が難しいです。
そもそも競合他社っていうものが同業他社ではなく、スマホゲームやキャンプなど別の趣味や時間の使い方なのではないかと。この時代、余暇の時間をどう過ごすのか、たくさんの選択肢がありますよね。「お酒を飲んで過ごす」という選択をされる方が減ってしまったような気がしています。誰かと飲みにいくというところに余暇の時間やお金使っていた人が、例えば飲みに行くことが減って、スマホゲームに時間を割くようになり、課金をするようになった、など時間とお金の使い道が多種多様になりました。お酒を飲んで、そこで人と語ることがとても楽しいことだと、特に若い人たちに伝えていかないといけないと思っています。
話は少し逸れてしまいましたが、人の心を動かすくらいの魅力的な味わいとストーリーを
お酒造りで表現していくと考えると、そもそもの原料である米の栽培のこと、お酒の設計のこと、実際の酒造りのことと、自分はまだまだ勉強不足です。
Q:海外の反応はどうでしょうか?
海外で行われたイベントに出席し、お酒を注いだ経験がありますが、日本酒は「初めまして」の方が多い印象でした。今造っているお酒はフルーティさもあって、ワインと近しい風味もあり、美味しいという声も多くて、喜んでもらえたと感じています。輸出自体も伸びていますし、一定の評価はいただいているのかなと思います。
ですが、まだまだ日本酒自体の流通量が少ないという面もあります。日本の食文化は和食や寿司など海外で高く評価されていますし、その日本が造るお酒も面白いね、美味しいねって思ってもらい、日本酒を嗜む人たちをさらに獲得していければ。
今後海外でさらに日本酒のシェアを伸ばしていくために、(もちろん日本国内も共通ですが)原料である米作りから、実際にお客様に飲まれるまでのルートを我々も勉強・理解をした上で、お酒造りをしていかなければと考えています。一つずつを深く理解しようとすると、大変でとても時間がかかることなのですが、今からですけど少しずつ始めていこうかなと思っています。
将来海外の人たちがお酒を飲む際に、選択肢のひとつが日本酒、そして飛良泉であれば最高ですね。そのためには初めましてで終わりではなく、リピートしてもらえるようなお酒を造っていきたいと思います。
Q:今後の展望はありますか?
にかほ市のみならず秋田県の人口が減っている中で、我々は挑戦を続けなければなりません。
そういったビハインドな状況な中、酒蔵としてにかほ市や秋田県に何ができるのか。
例えばお酒を飲んだことがある県外、海外の方に田んぼや酒蔵を見に来てもらう。「秋田県って、にかほ市ってどういう土地なの?」ってなった時に「フランスでいうボルドー、ブルゴーニュみたいな農業と醸造が盛んなエリアだよ」って言ってもらえたらありがたいですよね。
日本酒が好きだから行ってみようかなと思ってほしいですね。現場を見てみたいと言ってもらえるような酒蔵になれば、少しでもこのエリアに貢献できるかなと。
もちろん会社もよくしたいし、日本酒以外のモノも作る場面があるかもしれないです。色々と空想していますが、長期的に考えた時には人を惹きつける酒蔵になるのが、ゴールなのかなと今のところ考えています。
にかほ市が魅力的と感じてもらえる一つの要因として存在したいなと思っています。
Q:では、最後の質問です。齋藤さんにとってにかほ市とは?
可能性しかないと思っています!勿体無い、もっとできる。我々は絶対もっとできると思います。
やはり鳥海山・・・。この山が基軸になると思います。周辺地域は自然あり、素材あり、山の水が流れ込む海にも素晴らしい漁場がある。こんなに自然の恵みがあるのだから、もっと活かして、もっと商売上手に…客観的に見て、ここだけは他に絶対負けない、この部分は強いっていうものを見つけ、発信していければ。
ただ身内のエゴではなくて。外から見る人が魅力に感じるもの、ミーハーでいいと思います笑 わかりやすいもので伝えていかないと、なかなかたくさんの人に来てもらえないので。
にかほ市は可能性をすごく秘めていると思っています。もっと自信を持ち、人々がもっと豊かになるべきです。
500年以上の長い歴史のある酒造を継承した想いや、にかほ市への熱意も感じたお話をしていただきました。
齋藤雅昭さん、ありがとうございました!