今回は、『居合・抜刀術(いあい・ばっとうじゅつ)』をはじめとした様々な文化を継承し、教えている熊木 昭夫さんにインタビューしました。なんと継承し教えている文化は抜刀術だけではないとか…。そして、今回の取材では実際に『抜刀術』を見せていただきました!

Q:まず初めに熊木さんの経歴と現在の活動内容について教えてください。

もう82歳になります。とっくに仕事はリタイアして、今は趣味で7つのことを人に教えています。『染色』『居合・抜刀術』『絵手紙』『陶芸』など合わせると7つになります。にかほ市内の学校や生涯学習などで教えに行っています。今はコロナでそんなに忙しくなくなったけど、コロナ前まではすごく忙しかったです。

Q:毎回色々な所に行って教えられているんですね。

そうですね。

Q:たくさんの文化に触れていますが、何かきっかけはありましたか?

『居合・抜刀術』と『陶芸』を始めることになったのは、40歳の厄年のときに原因不明で体の調子が悪くなりました。色々な病院に行っても分からなくて、たまたま関東の漢方医の先生に『居合道』『陶芸』『お茶』とか、要するに呼吸法と言われるようなものをやった方がいいんじゃないかと言われたのがきっかけで始めました。『お茶』は、今は男の人もやるけれど、40年前はあんまり男の人がやることはなかったです。月謝も高いし、自分の住んでいる所から習いに行くとなると遠かったので諦めて、近くにあった『居合道』と『陶芸』を始めました。

Q:そういう流れだったんですね。ちなみにご出身はにかほ市ですか?

そうです。元々にかほ市の小砂川生まれで、18歳で上京しました。62歳の定年になって帰ってきて、にかほ市内で私の知っていることを教えようと思って来ました。

居合・抜刀術で使用する真剣(銃刀法に関する登録済)

Q:そういった7つのことをやっていこうとしたターニングポイントはありますか?

私は道楽者で趣味として色々なことをやってきました。お金を出して自分は習ったけど、そのまま死んでいくのはもったいないから、少しでもにかほ市の人に教えたいというか、とにかく教えておきたいということがそのまま繋がったという感じです。

Q:なるほど。生徒さんは結構いらっしゃるんですか?

『居合・抜刀術』は6人です。夜遅いので仕事の都合とか、コロナで来られないとかはあります。『陶芸』は20年前、教室を始めた頃は15名ほどいたのですが、現在は3ヶ月に1人くらいです。また、『染色』も教えているんですけど、それは角館から習いに来る人もいます。

Q:遠くからも来ているんですね!

他所で習うとお金だけ取られて肝心なことを教えない人もいるんです。私は自分の知っていることは何でも教えて、商売関係ないから出し惜しみしないです。”都会の先生”っていうのはしっかりしているから、金儲けだけで肝心なことは教えてくれない先生が多いんです。自分がせっかく研究してやったものだからって。私の場合は何でも教えます。角館から来る人は、教わってから検定に出していつも入選しています。県展の時は私も入選するのでいつも隣に飾ってあります。(笑)

Q:一緒に並ぶと嬉しいですよね。

そうです。

Q:角館から毎回にかほ市に通っているんですね。

そうですね。

閉校した上浜小学校でクラブ活動で『陶芸』を教えていました。今は象潟小学校で『多色刷り』を版画クラブで教えています。

抜き打ち、袈裟斬り
胴斬り

Q:そうだったんですね。そういったものを継承していく上で大変だったことはありますか?

特別大変だったことはないかな…。文化的なこととスポーツ的なことはまったく違うけど、私の場合は『版画』とか『切り絵』とか共通性があるから、1つ入っていくと全然無理じゃないです。

大変というか、がっかりするのは、「歴史の案内をお願いします」とどこからか要請が来て、せっかく調べて準備したのに「コロナなので中止にしてください」って言われたり…。私はそのために準備して、確認のために下見に行くわけです。それが無駄になってがっかりというか大変というか…。

Q:このご時世だとありますよね。では逆にやっていて良かったことは何ですか?

小学生が手紙をくれます。『奥の細道』の案内をしたりすると、「おかげさまでよく分かりました」とか「お父さんお母さんにも教えてあげたいです」とか。だから手紙がいっぱい集まってます。

Q:手紙がもらえると、たまに見返したくなりますよね。

そうです。クラブ活動でも卒業するときに手紙をくれます。それはやっぱり嬉しいです。

Q:すごく色々なことに触れていると思うんですけど、1番初めに触れたものは何だったんですか?

歴史の話ですね。子どもたちが大きくなって高校生くらいになると相手にされなくなるから暇な訳です。

東京にいた頃、旧象潟町の『象潟町史』っていう厚い本があって、それを友達が送ってくれました。元々興味があったから暗記するくらい読みました。こっちの人はいちいち見ないじゃないですか。それから故郷の歴史は詳しく覚えたので人に教えています。『岩城少年自然の家』からも依頼があったことがありますし、秋田市からも依頼が多かったです。三崎山っていうのは150年前戊辰戦争で激戦区だったんですよ。そういう関係の墓とかを見たい人が結構多いんです。

Q:そうなんですね。そういったものに対してどのような想いで取り組まれていますか?

想いというか、みんな喜んで習いたいというものがあれば何でも教えます。生きてるうちは何でも。習いたいものがあれば何でも教わりにきてほしいです。

Q:そういった何でも教えたいという気持ちになったきっかけはあったんですか?

うちに来れば分かるけど、10年以上前は結構『陶芸』に人が来ていました。でもこの辺は欲がないから、ちょっと覚えればもういいって事になるんです。結局辞めて2〜3年すると何にも覚えてないんですよね。文化に疎いですね、貪欲じゃないです。よそに比べると気候もいいですよね、寒くないし、食べる物も良い物を食べてるんですよ。私は全国色々出張も行ったけど、静岡県の人と宮崎県の人とこの辺は似てるんです。一生懸命働くのは嫌だって。(笑)山形県に行ってごらん。何でも売っているでしょ、すごいです。うちの奥さんは米沢出身で、一回友達とフキを採りに行きたいって採りに行ったんです。そしたらフキの葉っぱまで食べていました、もったいないって。こっちの人は食べないです。

居合道と抜刀術の業前表

Q:なるほど。熊木さんはなぜこういった文化を継承していくんですか?

継承していかないと途絶えちゃうからです。今『獅子舞』とか『番楽』も、子どもたちがいなくなるから年寄りが頑張ってるでしょ。(笑)私は途絶えるのが一番怖いというか、文化がなくなっちゃうのはだめだと思います。せっかく先祖、先輩方が守ってきたものですから、昭和から令和になるときになくなったものもたくさんあります。大須郷や水岡部落でも『番楽』がなくなったんですよね。昔は色々あったんですよ。だからそういうのがなくなったら先祖に申し訳ないです。

Q:どんどん若い人がまたそれを継承していってくれたらいいですね。

そうですね。

抜刀の前に呼吸を整えて

Q:では最後の質問になるんですけど、熊木さんにとってにかほ市とは何ですか?

もう少し一生懸命にやってほしいです。(笑)あんまり言うと市の悪口を言うようだけど、”観光の町にかほ市”って言ってるけど、じゃあどのくらい観光に力を入れているかっていうと私から見たらほとんどないです。”ジオパーク”って言っているけど、ジオパークってまだあるんです。でも決まりきったものなんです。昔、小砂川の松本旅館の裏に『あずまや』があって、その下から観光道路っていうのがずっとあったんです。海水浴場まで続いていたんですけど、壊れたら壊れっぱなしで復活しません。

Q:それは何年くらい前だったんですか?

もう20年近くですね。よそから来る人はみんな褒めていました。「良い眺めですね」と。三崎山の旧道だって直してないです。『福田の泉』っていう芭蕉が通ったところにも『馬頭観音堂』という建物があったんだけど、それもなくなりました。昔は立派で『奥の細道』が好きな人は毎年訪ねて来ていて、現在もにかほ市の立派な説明看板が出ています。『奥の細道』とか『松尾芭蕉』とか言っていて、人も来るので直したりしなきゃいけないのに…そういう面ですよね。よその人がもったいないって言うんです。お金がないって言うなら、昔はお金を取っていたブルーラインで50円でも100円でもお金を取ればいいんです。

Q:昔はお金を取っていたんですか?

昔、できた当時はお金を取っていたんです。300円か何円か…。道路が壊れたら直さなくちゃいけないんだから、50円でも100円でも取ればいいんです。「無料だ」って言うと他所から来た人はびっくりします。

Q:そうだったんですね。修復して残していくためにも費用は必要ですよね。

4年くらい前に観光協会にいたんですが、(※観光協会(かんこうきょうかい)とは観光地と呼ばれる地域内の観光振興を目的とした観光事業者。  都道府県単位の協会および市町村で構成される協会がある。)そのときは『観光検定』というのがあって、問題集とかも作ったのに私が辞めてからは何もやらなくなりました。結局あれは何だったんだろうと思います。これだけ年寄りが頑張ってもだめならだめですね。帰ってきたときは60代で、どんどん色々なことを教えて、にかほ市を良い市にしようと思っていたけど、がっかり…。(笑)

Q:どんどん文化を継承していく人がいたらいいですね。

そうですね。若い人たちに頑張ってほしいです。


抜刀術をはじめとした沢山の文化を継承し、人へ教えている熊木さん。文化を無くさないようにする想いが大きいからこそ、自分の知っている全てを教えることが出来るのだと感じました。継承する人がいるからこそ、文化が無くならず残っていくのだと思います。

熊木 昭夫さん、ありがとうございました!

この記事を書いた人

熊木昭夫

にかほ市小砂川生まれ。18歳で上京。定年後にかほ市に戻り、市内の学校等で文化を継承することをはじめる。『染色』『居合・抜刀術』『絵手紙』『陶芸』など多様な7つの文化を教えている。