今回はにかほ市で比内地鶏農家をされている今野 真治さんにインタビューしました!

日本を代表する地鶏のひとつ比内地鶏、秋田県で古くから生産されていたブランドですが、昨今では離農する人も多いそうです。

数少ない比内地鶏農家を継承する想いとは?

Q:初めに今野さんのご経歴と現在の活動内容について教えてください。

出身はにかほ市です。21歳になる年に『海外農業研修』(※海外農業研修・・・公益社団法人 国際農業者交流協会で行われているプログラム。他の国で実際の農作業に携わりながら学ぶことができる。)でアメリカに2年間行っていました。

23歳のときにこっちに戻ってきて、その当時、親父が田んぼをやっていたのを手伝いながら他にも仕事をしていました。そもそもあまり農業をやる気もなかったんですけど、色々な経緯があってアメリカに行くことになって、戻ってきてから手伝いを初めましたが、24歳の時には息子も生まれていたので、その時は農業一本でやっていくつもりもなかったんです。

Q:そうだったんですね。

35歳くらいのときに、どうせやるんであれば『比内地鶏農家』と思いました。当時から田んぼだけでは無理だったので、何か取り組みたいなと思ったときに、たまたま旧金浦の時代に、『比内地鶏農家』をやっていた方が1人いたんですよ。そのときの農協の職員の方が教えて下さり始めました。

その時の選択肢は、例えば『花』とか色々とあったんですけど、『比内地鶏』を選びました。初年度は150羽くらいから初めて、色々と紆余曲折あるわけですけど、今に至るという感じですね。

Q:そもそも農業に触れたきっかけは何かあったんですか?

元々うちが農家だったので、小さい頃から農業に触れていたのもあったし、アメリカに行く前に『農業後継者研修』があって、そこでお世話になっていたというのがきっかけですね。

そこで、全国各地から来た人や農業関係の職員の方と付き合うことがあって、色々な情報を仕入れて、農業関係もやってみようかなっていうくらいの気持ちでした。アメリカに行ったのもノリみたいな感じです。(笑)

Q:なるほど。(笑)ターニングポイントは何かありましたか?

やっぱり『比内地鶏』をやり始めてからだと思いますね。結局、生き物なので手がかかります。田んぼだと、金銭的な目標ってなかなか見えてこなかったんですけど、『比内地鶏』をやってからはだんだんそれが見え始めてきたのかなという感じですね。

Q:アメリカに行って変わった部分もあるんですか?

そもそもアメリカに行った時もあんまり農業をやろうとは思ってなかったので…。行き始めたときも他の人たちとは違って、「農業をやっていくんだ!」「農業関係で突き進んでいくんだ!」っていうのがほぼほぼなかったんです。だけどそういう人に触れていると、「じゃあ俺もできるんじゃないかな?」って考えるようになりました。

Q:そういう心情の変化があったんですね。『比内地鶏』はにかほ市では他にやられているところはあるんですか?

今は1軒しかなくなっちゃいましたね。

Q:どんどんなくなってしまっているのはどうしてもあると思うんですけど、その中でもどういう想いで取り組まれていますか?

『比内地鶏』って日本三大地鶏っていうくらい、こっちから売り込まなくても知名度があったんです。生産するのも大変なんですけど、販売は”最初からブランド力があるもの”だったので、イチからブランディングしていくよりも楽だ、というのを感じていました。

この辺の農協管内で7軒くらい比内地鶏をやっていたので、にかほ市に囚われず、由利本荘管内の人間と付き合いながらずっと進めていました。ある程度、ベースの金額が出てくれば「じゃあこのくらいはやらなきゃいけないな」とか「このくらい利益が出るなら、このくらいやらなきゃいけないな」っていうように考えはじめました。田んぼだけやっていれば、こういう気持ちにはならなかったんだろうなと思います。

Q:実際にやっていてどんなことが1番大変ですか?

やっぱり生き物ということが大変です。

Q:田んぼのときとは違う大変さがありそうですね。

田んぼは、ぶっちゃけ言っちゃうと、ある程度は放っておいてもできるんです。生き物だとなかなかそうはいかなくて。だからと言って、牛みたいにそこまでしばられる訳でもないです。比べること自体が違うんだろうけど、やっぱり生き物って難しいですよね。

人間だったら言葉が通じるからいいんですけど、あいつらは何喋ってるか何考えてるんだかいまいち分からない。(笑)そこらへんですよね。

牛だと個体が大きい分、1頭1頭の管理とかができるじゃないですか。でも1つのハウスに1,000羽もいれば、具合の悪いやつだったら分かるんだけど、どれがどれだってなかなか把握できないです。やっぱり生き物は大変ってことです。状況にもよりますけど、毎日見るようにしないといけないです。

Q:今は全部で何羽くらいいるんですか?

今は3,000羽弱くらいです。

Q:一応個々で目印とか、判別できるようにはなっているんですか?

無理ですね。(笑)目印とかもないですね。足が曲がって歩けないとか、そういうくらいですかね。そういうやつも捕まえようとすると逃げますからね。(笑)

Q:生き物なりの大変さが色々とあると思うんですけど、やっていて良かった部分は何ですか?

”美味いこと”なんじゃないですかね。基本はそれが大前提だと思ってます。「かわいそう」っていう気持ちもなくはないんですけど、そこら辺は当然割り切っているし、「どうせだったら食べて美味いものを作った方がいいや」くらいの想いです。やっぱり「美味い」っていうことです。生々しいかもしれないですけど。

「かわいそう」って思ってても続かないし、思わない訳でもないです。結局はどういう形であれ命を食べるわけだから、そういう気持ちは忘れないようにはしています。どこかで分かっているけど、分かっていないようなフリをしているというか…。でも忘れないようにしています。

生き物って声を発するじゃないですか。田んぼにしろ野菜にしろ、声を発しないだけで。生き物を育てるってことは声も出るし動くし、生き物を食べるっていうのが一番身近にあるからこそ一番大切にしなきゃいけないなみたいな感じでいます。

Q:やっぱり大切ですよね。こういうことをやっていく上で一番意識していることは何ですか?

どこまでいってもやっぱり生き物なので、人間と一緒でご飯を食べなきゃ大きくならないし、まして経済動物なので、どこまで手をかけるかっていう話にもなるんだろうけど…餌と水は絶対欠かさないようにはしています。

見れば分かるけど、牛みたいに1頭ずつ「よしよし」なんて、できるものではないから。(笑)ゲージで分かれてるわけでもないし、開けたらいるだけです。

Q:そうですよね。

牛たちと違ってスパンが短いから、あんまり手をかけすぎちゃったりすると、スパンが短い分、修正もきかなくなってきます。牛なら1年とか2年とかのスパンなので…じゃあ1日くらいっていう考えもないことはないと思います。それが入れてから出すまでの4ヶ月くらいの中でサボっちゃうと、その分取り返すのって結構大変ですし、確実に成績に現れてくるので。

Q:そういった難しさもあるんですね。

Q:やっぱり受け継いでいきたいという気持ちもあるんですか?

”秋田の伝統”とかそういうことを言うつもりはないんだけど、うちは鳥以外も色々なことをやってますけど、その中の一つの柱ではあるので欠かすことはできないと思っています。それを息子も見て比内地鶏農家をやろうとしてくれています。伝統がどうこうっていうのは考えたことがないし、あくまでもうちの手段の一つです。

実際、秋田県内の生産数もかなり減ってきているので、せっかく昔からある名前の知れてるものをわざわざ捨てさせることもないし、利用していくっていうか、作っていくべきなんじゃないかと思っています。

Q:なるほど。

令和4年度は最盛期の半分以下じゃないですかね。最盛期で70万羽くらいいたのが、今は35万羽くらいだから、ほぼ半分です。県北でも離農していっている人が多いです。でも息子も含めて若い生産者も頑張ってくれているから、彼らと一緒にやっていければ、まだまだ面白くなるのかなと思ってます。

Q:これから楽しみな部分もありますね。

鶏の飼育場所

Q:比内地鶏は、そこでどんどん繁殖させていく形ではないんですか?

そういうわけではないですね。生後27日くらいになってきたヒナを持ってきて、だいたい4ヶ月くらい自分たちで飼育して出荷…という感じです。

Q:卵からかえすっていうことはないんですね。

それはないです。それは別の所でという感じですね。

Q:生まれた卵はどこかで販売はしていないんですか?

昔は色々とやっていたんですけど、今は他の仕事の兼ね合いで、年がら年中いるわけじゃないので、卵も年がら年中あるわけじゃないんです。もったいないから売るっていうのもやっていたけど、結局、卵が切れたときの対応が面倒臭くなってきて…。ぶっちゃけ卵1パック2パック届けたって、間に合うわけないんですよ。当然、期間限定的な物になるから、欲しい人には譲るし、昔の物々交換じゃないけど卵が野菜になって帰ってきたり。むしろそっちの方がいいのかなと思ってます。

卵屋じゃなくてあくまでも肉屋なのに、大きさにもばらつきがあって、卵のサイズが違うとかが面倒臭くなりました。あくまでも卵は副産物なので。

Q:大きくなって何ヶ月くらいで産み始めるんですか?

結構まちまちではあるけど、早ければ出荷1ヶ月前くらいから産み始めるし、遅くても2週間前くらいです。半分産めば500個〜600個って当たり前の話になってきます。実は衛生法の絡みもあってあったりして大変です。

Q:では最後の質問になりますが、今野さんにとってにかほ市とは何ですか?

簡単に言えば生まれ育った町です。当然うちの利益も追求しますけど、ふるさと納税もやることによって、にかほ市にも還元できるだろうし、全国に伝えることもできるだろうと思っています。生まれ育って、このまま出ていくつもりもないし、にかほ市のために少しでも役に立てればなとは思ってます。

生まれ育った場所ですね、にかほ市は。生まれ育った場所だからこそ、形とか方法は違えど地元に貢献していきたいっていうのは、いる人たち皆んなだと思います。


文化を守る気持ちも勿論ですが、歴史があるものを手放さず活用していくことも継承に繋がることだと感じました。離農が課題でもある中、一人でも就農する人が増えることが大切だと思います。
今野 真治さん、ありがとうございました!

この記事を書いた人

今野真治