今回は、秋田県にかほ市にある無化調ラーメン店『湯の台食堂』の店主 佐々木優作さんにインタビューしました。なぜラーメンの道を歩むことになったのか、営業日のルーティンやラーメンへの想いやこだわりまでお話いただきました。

Q:今までの経歴や現在の活動内容を教えてください。

―高校、大学時代

地元がここで実家も歩いてすぐなのですが、高校までここで育って、ずっと野球部に所属していました。

高校の時に腰を痛めて、監督から「鳥取のジムに行け」と言われて、それも転機の一つでした。野球のイチロー選手やサッカーの三浦和良選手など、いろんな部門のプロの選手が行くようなジムでした。今ではだいぶ古いんですけど初動負荷トレーニングというものを取り入れていました。

病院だとメスを入れる必要があり、失敗する可能性もあるし後遺症が残る可能性もあります。そのジムで体のケアをしながら、そこでいろんな選手たちと出会って、大学まで野球を続けようと決めました。

大学では一年生のうちから使ってもらったりしていましたが、なかなか結果を出せずにいました…そこも今思えば、自分自身泥臭く積み重ねていく人間なのに大学になってちょっと調子乗ってしまったというか、ひたむきに頑張れなかったのが結果を出せなかった要因かなと思います。

大学の仲間とは今も付き合いがあります。野球だけでなく、多方面に和が広がっていったと言いますか、もし行ってなかったら今の自分はないなと感じますね。

―就職

最初の就職先は警備会社でした。就職のことを全く考えてなくて、友達が警備会社を受けるということで「受けてみようかな〜」という軽いノリで受け、東京へ配属になりました。

食べ歩くのが好きで、いろんなお店の料理を味わう中で、食という分野に興味が湧いてきました。働いていく中で、この先どのくらいまで行けるのかを考えたんです。周りの先輩を見た時に、結婚してマンションを買ってはいるものの、すごく我慢した生活をしていて、なんだかこの先明るくないなって思ってしまって…

―ラーメンの道へ

とにかく挑戦してみようかなって思って仕事をやめて、都内の行列のできる人気店を知人から紹介してもらい、そこでお世話になりました。大体1ヶ月くらいで仕事内容はできるようになって、お店もある程度任せてもらえるようになってたんですけど、そこから3.11があって…いろんな経験をする中で、自分も独立したいという思いが湧いてきて一度お店を退きました。

その後、リヤカーで豆腐を売るバイトや瓶詰め工場などでバイトをしました。豆腐屋が潰れちゃうってなった時に、自分の記憶に残っていた東京駅の中にある『麺や七彩』に直接電話をして、面接をしてもらい雇ってもらったんです。

その時社長に「2年で独立を考えています!」って言ったんですが、七彩は鳥を捌くところから始まり、その場で一から全部仕込んでいくお店で「えっ!?何ここ!?」という感じで戸惑いました。(笑)

でも絶対独立するって決めたからと自分に言い聞かせて、先輩もいるけれどちょっとずつ抜かしていくことを目標にして、店長まで昇格しました。

そこの仕込みをやれるようになるまでは1年ぐらいかかりましたね。季節によって少し味を変えたり、全国の食材を取り寄せては、いろんな限定メニューをやっていたので、すごく勉強になりました。それが今ここでやってる基本というか糧になっています。

もちろん、飲食業界は裏があるというか、時間は長いし、給料も安いんですけどこうやって自分でやると、お金で変えられない経験をしたなって感じます。

それで、結局6年ぐらいお世話になったんですけど、3年半ほどで東京駅の契約が満期になり、八丁堀に移転したんです。

そこでただ移転するのもつまらないから、何か挑戦しようということで、やったことのなかった“お客さんから注文を受けてから麺を打つ”というチャレンジをしたんです。

その時は社長も現場に立って一緒に麺打ちをしたのですが、社長という雲の上のような存在だった人と同じスタートラインに立ったことで、「負けられない」意識も芽生えてきたんです。

八丁堀店の新規オープンまで、練習を重ねましたが、試食するとなっても2回ほどでお腹いっぱいになってしまう。だから常にイメージトレーニングでしたね。先生はYoutubeでした。(笑)

お客さんが来てから手打ちするというのはラーメンの業界では前例がなかったんですが、うどん業界ではあったんです。うどんでできるならラーメンもできるでしょという発想から、「やるぞ!」ってなって、当時はラーメン業界に激震というかかなり話題になったんですよ。

そこで一年ちょっと店長をしてから、最終的にカウンター9席だけの系列店で、自分1人だけでお店を回していく感覚を覚えていきました。

その間も全国のラーメンイベントがあって、北海道から長崎まで、いろいろ行かせてもらって

「ちゃんと作ったものはお客さんに評価してもらえるんだな」って思ったし、全国の有名なラーメン店主さんたちとつながって話ができたのも大きかったですね。

最初はお店を東京でやるつもりだったんです。でも、物件もなかなか見つからないですし、自分で全部製麺もやりたいってなるとそれなりの広さがほしくて…

そんな時にここ(湯の台食堂)が従業員の高齢化もあってやめますとなって。やっぱり周りの食堂も同じぐらいの年代で、これから10年後20年後には地元のお店がなくなっちゃうじゃんって思って、それだったら俺がやりたいっていうか、やらないとどんどん廃れてっちゃうってのがあって。それで「やる!」って決めました。

最初は大半の人が反対して、父親も「こんなところで」という感じでした。昔だったら雑誌やメディアが来ないとこの場所を伝えるのは難しかったのかもしれないですけど、今はSNSがあるので、やる前から話題になっていたんですよ。自分がやるって発表しなくても噂でというか。ありがたいことに、常連さんやラーメン好きな方々が宣伝してくれていたんです。だからオープンからずっと今まで、こんなに順調でいいのかっていうくらい順調にきている感じです。

Q:『湯の台食堂』について教えてください。

まず全て手作りでなるべく地元の食材を使っています。こだわってるところは調味料です。

醤油ラーメンは、石孫本店さんという湯沢市にある醤油屋さんのものを使用しています。日本全国で醤油をちゃんと作っているところってなかなか少ないんです。3ヶ月くらいでできちゃうところもあるみたいですが、石孫さんは2年ぐらいかかっているんです。

それと、石炭を使って火入れをしているのは、日本でも石孫さんぐらいしかいないと思います。人の手と手間がかかっているこだわりの醤油なので使用しています。

あと麺でいえば、小麦の香りが感じられるフレッシュなものを出したいという思いから、なるべく朝に打ったものを使用しています。麺って基本熟成を兼ねて出しているところが多いんですが、うちではそうしています。

あとは各時期の旬の素材を使って、限定のものを作っています。旬の食材だからその時期に食べるのが美味しいし、体も求めてしまうんです。旬の食材を使って麺料理としてやっているところって秋田ではあまりないかと思います。

Q:個性的なラーメン(期間限定)が多いですが、食材から味のベースを考えているのですか?また、それを作り出す時のインスピレーションや刺激は何でしたか?

ベースは東京にいた時と同じですね。実は、東京にいた時に実家から食材を送ってもらって、実際に商品化しているんです。だからある意味そのまま出せているんです。

社長が中華だけでなく、イタリアンもやって、お酒を飲めないのにソムリエもやってと、経験豊富な方だったんですよ。だから社長に相談して、一緒に調理しながら食材の活かし方を教えてもらいました。もちろんそこから毎年ちょっとずつアレンジを加え、常にブラッシュアップしています。

Q:東京で期間限定のラーメンを出した時のお客様の反応はいかがでしたか?

反応はめちゃくちゃよかったです。そして、お客様と会話する中で、改めて秋田が持っているポテンシャルに気づかされましたね。

地元にいる時、山菜に興味はなかったし、海産物もそれほど興味はありませんでしたが、いろんな食材使うラーメン屋で働いたのがきっかけで、食材の宝庫秋田に帰ったらこういう風にしようという構想は最初からありましたね。

Q:化学調味料不使用、無添加の理由はなんですか?

自分が食べるのが好きなことが原点にあります。ラーメンを生業にしているのでこれを食べて満足してもらいたいって思いもあります。化学調味料を使わない理由は安心安全もあるのですが、美味しいことが大前提にあります。

化学調味料不使用だと、旨味の波を感じやすく、食べ飽きづらいんです。例えばスープの温度が下がってきた時に別の旨味が出てきたりと、変化や余韻を楽しむという意味でも化学調味料を使用していません。

ルーティン

AM 5:00   起床。水を一杯飲む。

仕込みの為に5:00に起床します。仕込みの量的に少し遅い時間でも良いときはありますが、起きる時間がバラバラだと起きるのが辛くなってしまうので、ルーティン的に5:00に起きるようにしています。朝起きたらまず一杯水を飲んでそこからスタートという感じですね。

AM 6:00〜10:50 麺やスープの仕込み 具材カットなど

準備をして6時には店に到着。そこからすぐにスープの仕込み、麺の仕込みをします。麺だけで2時間近くかかります。それが終わってチャーシュー、ねぎをカットして、ご飯を炊いたりと、オープンに向けて準備をします。

大体全部で12時間くらいは仕込みをしています。スープのみだと8時間くらい出汁を取っています。スープの前に鳥を捌いたり、下準備に30分〜1時間くらいかかってしまうので、そこから湧くのに1時間、その次にこしたり、冷ましたりするのに1時間かかって、その他のチャーシューの仕込み等を含めると大体12時間くらいはかかります。

Q:仕込みのルーティンも東京にいた頃のやり方を真似ながら行なっていますか?

そうですね。ベースはそうですがその中でも自分の色とか自分らしさをどうしようかと日々考えています。

Q:仕込みの際に考えていることや、どんなモチベーションで行なっていますか?

途中途中で味見をしますが、その日の体調によって良い悪いを感じるのでその時は別の食材を試したり、変化をつけるようにしています。昨日よりも今日が美味しく、今日よりも明日…というように、ただ流れ作業で仕込むのではなく、常に試行錯誤しながら美味しさを追求しています。

あえて限定メニューに挑戦することも、実は自分を追い込み、刺激するためでもあるんです。また『食材=命』を預かっているということを忘れないように最後まで大切に仕込んでいます。

Q:麺のこだわりはありますか?

最近ブレンドを変えています。今までは九州産の中力の粉を使っていたのですが、ずっと食べている内に自分の中で納得いかなくなってきて…今は秋田県大潟村産の『銀河のちから』を主体にオリジナルの配合で作っています。

期間限定のラーメンはある程度これを作ると決まっているので、それに合わせた麺を使っています。これも東京にいた時に色々と試作していたので、そこに寄せて作っています。

AM 10:50  朝礼

10:50には毎朝一回朝礼をします。これは必ず行うようにしています。メリハリをつけ、意識を統一することを心がけています。

また、決め事や前日にあったこと、限定メニューについて朝礼で振り返ります。

それと必ず、「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」「またお待ちしております」の掛け声をしっかりしましょう。という確認や目配りや気配り心配りをできるようにと常に言っています。

店員側の気持ちがお客さんに伝わるので、そこは大事にしています。やっぱりここ(湯の台食堂)に来てもらえるのってアクセス面などみても当たり前ではないので。

Q:なるほど。こういったルーティンがあるからこそ、愛されるお店になっているんだなと感じます。

湯の台食堂 佐々木優作氏のルーティーン Vol.2に続く。

続編では、オープンしてからのルーティンや、今後の展望までお聞きします!湯の台食堂のラーメンが食べたくなる・好きになるストーリーが盛り沢山です。

ぜひご覧ください!

この記事を書いた人

佐々木優作

秋田県にかほ市にある無化調ラーメン店『湯の台食堂』の店主。東京のラーメン店で勤務の後、独立。旬の食材や、地元の食材を使ったラーメンを提供している。